1093 陸奧歌(みちのくうた)
  君(きみ)を置(お)きて 徒(あだ)し心(こころ)を 我(わ)が持(も)たば 末(すゑ)の松山(まつやま) 浪(なみ)も越(こ)えなむ
  陸奧歌
吾心死不渝 若置君不顧 徒移情戀者 浪必高越末松山 願知吾永待汝歸
1094 相模歌(さがみうた)
  越搖(こよろぎ)の 礒立馴(いそたちなら)し 礒菜摘(いそなつ)む 目刺(めざ)し濡(ぬ)らす勿(な) 沖(おき)に折(を)れ浪(なみ)
  相模歌
  踏遍越搖礒 娘子專念摘礒菜 莫令其衣濕 還願滔滔白浪者 勿擊礒上折沖間
1095 常陸歌(ひたちうた)
  筑波嶺(つくばね)の 此(この)も彼(かの)もに 蔭(かげ)はあれど 君(きみ)が御姿(みかげ)に 增(ま)す影(かげ)は無(な)し
  常陸歌
  常陸筑波嶺 嶺上草木繁且盛 處處留木陰 然而較與汝身影 莫有可勝君姿者
1096 常陸歌(ひたちうた)
  筑波嶺(つくばね)の 峯(みね)の紅葉(もみぢば) 落積(おちつ)もり 知(し)るも知(し)らぬも 並(な)べて愛(かな)しも
  常陸歌
  崴峨筑波嶺 峰上紅葉零且落 飄舞積落葉 不知是從何木來 識人或否並惜愛
1097 甲斐歌(かひうた)
  甲斐(かひ)が嶺(ね)を 清(さけ)にも見(み)しが 心無(けけれな)く 橫(よこ)ほり伏(ふ)せる 佐夜(さや)の中山(なかやま)
  甲斐歌
甲斐白根嶺 願得清觀晰翫之 佐夜中山矣 汝今無心橫伏臥 蔽吾視線礙觀瞻
1098 甲斐歌(かひうた)
  甲斐(かひ)が嶺(ね)を 嶺越(ねこ)し山越(やまこ)し 吹(ふ)く風(かぜ)を 人(ひと)にもがもや 言傳(ことつ)てやらむ
  甲斐歌
  甲斐白根嶺 吹風越嶺亦越山 風可易人乎 願汝為人代傳言 便送家書屆伊人
1099 伊勢歌(いせうた)
  生浦(をふのうら)に 片枝刺(かたえさ)し覆(おほ)ひ 成(な)る梨(なし)の 成(な)りも成(な)らずも 寢(ね)て語(かた)らはむ
  伊勢歌
  伊勢生浦邊 孤枝伸刺覆岸濱 梨木已成實 我倆成能佳偶否 相枕絮語共相眠
1100 冬(ふゆ)の賀茂祭(かものまつり)の歌(うた)
  千早振(ちはやぶ)る 賀茂社(かものやしろ)の 姬小松(ひめこまつ) 萬世經(よろづよふ)とも (いろ)は變(かは)らじ
  冬賀茂祭歌
  千早振稜威 賀茂神社姬小松 雖歷千萬代 松葉長青不褪 歷久彌新耀神威
藤原敏行朝臣 1100
1101 蜩(ひぐらし)指原莉乃
  杣人(そまびと)は 宮木引(みやきひ)くらし 足引(あひしき)の 山(やま)の山彥(やまびこ) 呼(よ)び響(とよ)む也(なり)
  蜩
  杣人樵夫者 牽引精材作宮木 呼聲合暮蜩 迴盪足引峻山間 響徹深山處處聞
紀貫之 1101
 在郭公下、空蟬上。
1102 黃心樹(をがたまのき)
  翔(かけ)りても 何(なに)をか魂(たま)の 來(き)ても見(み)む 駭(から)は炎(ほのほ)と 成(な)りにし物(もの)を
  黃心樹
  天翔在虛空 魂兮歸來何可見 魂木黃心樹 亡骸既為炎燒燼 魂雖歸兮何所依
藤原勝臣 1102
 黃心木,友則下。
1103 吾母(くれのおも)
  來(こ)し時(とき)と 戀(こひ)つつ居(を)れば 夕暮(ゆふぐ)れの 面影(おもかげ)にのみ 見(み)え渡(わた)るかな
  茴香
  念伊人將來 不覺起居掛戀慕 吾母茴香草 時至日斜夕暮時 惟有面影溢心
紀貫之 1103
 忍草,利貞下。
1104 沖井(おきのゐ)、宮古(みやこじま)
  燠居(おきのゐ)て 身(み)を燒(や)くよりも 悲(かな)しきは 都島邊(みやこしまべ)の 別(わか)れなりけり
  沖井、宮古島
  沖井燠火燃 身為火燒居悲戚 悲勝於兮者 宮古都島邊別離 遠別異地不相見
小野小町 1104
 唐琴,清行下。
1105 染殿(そめどの)、粟田(あはた)
  憂(う)きめをば 餘所(よそ)めとのみぞ 逃(のが)れ行(ゆ)く 雲(くも)の沫立(あはた)つ 山麓(やまのふもと)に
  染殿、粟田
  身居染殿中 放下俗事憂愁事 遁網餘所去 栗田天雲沫立觸 歸兮鄉野山麓間
あやもち 1105
 此歌(このうた)、水尾帝(みづのをのみかど)の染殿(そめどの)より粟田(あはた)へ移賜(うつりたま)うける時(とき)に詠(よ)める。
 此歌,水尾帝清和天皇自染殿移幸粟田之時所詠。
 桂宮下。【按『日本三代實錄』,事在元慶三年五月四日。】
卷第十一
奧山(おくやま)の菅(すが)の根凌(ねしのぎ)降雪(ふるゆき),下。
1106 題知(だいし)らず
  今日人(けふひと)を 戀(こ)ふる心(こころ)は 大堰河(おほゐがは) 流(なが)るる水(みづ)に 劣(おと)らざりけり
  今朝發慕情 心戀遠人頻不止 大堰川流水 激昂水嵩浪高湧 吾心潰堤不劣之
1107 題知(だいし)らず
  吾妹子(わぎもこ)に 逢坂山(あふさかやま)の 篠芒(しのすすき) 穗(ほ)には出(い)でずも 戀渡(こひわた)る哉(かな)
  聞逢吾妹子 方寸亂兮逢坂山 逢坂山篠芒 猶其至今穗未出 吾亦堪戀不作
卷第十三
こひしくはしたにを思へ紫の,下。
1108 題知(だいし)らず
  犬上(いぬがみ)の 鳥籠山(とこのやま)なる 名取河(なとりがは) 去來(いさ)と答(こた)へよ 我(わ)が名洩(なも)らす勿(な)
  犬上鳥籠山 山麓泉流名取川 汝雖稱名取 切莫去來答吾名 還願切勿洩我名
 此歌(このうた)、或人(あるひと):「天帝(あめのみかど)の近江(あふみ)の采女(うねめ)に賜(たま)れる。」と。
 此歌,或人曰:「天皇賜近江采女者也。」
1109 返(かへ)し、采女(うねめ)の奉(たてまつ)れる
  山科(やましな)の 音羽(おとは)の瀧(たき)の 音(おと)ににだに 人(ひと)の知(し)るべく 我(わ)が戀(こ)ひめやも
  山科音羽瀧 激水急落擊發鳴 妾身不似彼 竊幽戀情藏心中 不欲他人知慕情
佚名 1109
1110 衣通姬(そとほりひめ)の獨居(ひとりゐ)て帝(みかど)を戀奉(こひたてまつ)りて
 我(わ)が背子(せこ)が 來(く)べき宵也(よひなり) 小蟹(ささがに)の  蜘蛛(くも)の振舞(ふるま)ひ 豫(か)ねて徵(しるし)も
  染殿、粟田
  此夜是何夜 良人將至春宵也 小蟹蜘蛛舞 細肢微動振衣著 誠是良人至臨徵
衣通姬 1110
 思ふてふことのはのみや秋をへて,下。
1111 題知(だいし)らず
  道知(みちし)らば 摘(つ)みにも行(ゆ)かむ 住江(すみのえ)の 岸(きし)に生(お)ふてふ 
戀忘草(こひわすれぐさ)
  若知道如何 必踏其途往摘草 住江岸蘿生 忘戀草兮遍地在 還願稍緩斷腸愁
紀貫之 1111
  深養父,こひしとはたがなづけけむ事ならむ,下。
1112 安積山(あさかやま)の辭(ことば)
  安積山(あさかやま) 影(かげ)さへ見(み)ゆる 山(やま)の井(ゐ)の 淺(あさ)くは人(ひと)を 思(おも)ふのもかは
  安積山之辭
  安積山底下 山井淺映安積影 其井雖淺薄 妾思君念豈如之 今誓慕情邃不淺
采女 假名序 1112
1113 題知(だいし)らず
  明日(あす)よりは 若菜摘(わかなつ)まむと 片岡(かたをか)の 明日(あした)の原(はら)は 今日(けふ)や燒(や)くらむ
  明日將出行 往至野間摘若蔡 片岡明日野 蓋是感此意氣乎 今日燒煙竄虛空
柿本人麻呂 20b 1113
1114 櫻花(さくらのはな)の水(みづ)に散(ち)るを見(み)て
  行水(ゆくみづ)に 風(かぜ)の吹(ふ)きいるる 櫻花(さくらばな) 消(き)えず流(なが)るる 雪(ゆき)とかぞ見(み)る
  見櫻花飄散零水
  行水無止息 吹風拂落櫻飄零 散櫻浮水上 好若春雪不消逝 流行無盡儚飄邈
紀貫之 80b 1114
1115 雲林院(うりんゐん)に罷(まか)りて櫻(さくら)の散(ち)りけるに詠(よ)める
  雪(ゆき)と見(み)て 濡(ぬ)れもやすると 櫻花(さくらばな) 散(ち)るに袂(たもと)を 被(かづ)きつる哉(かな)
  罷雲林院,詠櫻花零落
  散櫻紛似雪 誤勘其將濡人濕 身居櫻樹下 舉袂覆首欲遮雪 只掬花瓣懷袖滿
紀貫之 82b 1115
1116 寬平御時后宮(くわんぴやうのおほんとききさいのみや)の歌合(うたあわせ)の歌(うた)
  月影(つきかげ)も 花(はな)も一(ひと)つに 見(み)ゆる夜(よ)は 大空(おほそら)をさへ 折(を)らむとぞする
  寬平御時后宮歌合歌
  今夜觀花月 月影皎白花亦白 不覺視作一 舉手雖欲折其花 險折大空盡混同
紀貫之 103b 1116
1117 朱雀院(すざくゐん)の女郎花合(をみなへしあはせ)に詠(よ)みて奉(たてまつ)りける
  女郎花(をみなへし) 無(な)き名(な)や立(た)ちし 白露(しらつゆ)の 濡衣(ぬれぎぬ)をのみ 著(き)て渡(わた)るらむ
  朱雀院女郎花合所奉詠
  可憐女郎花 無實虛名既已立 白露沾襟濕 野原一面凝玉露 造作濡衣引虛名
1118 題知(だいし)らず
  我(わ)が門(かど)の 早稻田(わさた)の稻(いな)も 刈(か)ら無(な)くに 未(ま)だき移(うつ)ろふ 神奈備(かんなば)の森(もり)
  我宿扉門前 早稻田稻未秋熟 稻雖未刈穫 神奈備森已黃變 木葉知秋褪紅
1119 題知(だいし)らず
  息長鳥(しながとり) 豬名野(いなの)を行(ゆ)けば 有馬山(ありまやま) 夕霧立(ゆふぎりた)ちぬ 明(あ)けぬ此夜(このよ)は
  息長豬名野 若行此野瞻觀者 見得有馬山 山間霧氣甚瀰漫 闇夜將曉曙將明
1120 題知(だいし)らず
  落激(おちたぎ)つ 川瀨(かはせ)に浮(う)かぶ 泡沫(うたかた)の 思(おも)はざらめや 戀(こひ)しき物(もの)を
  水瀑勁激落 泡沫順水浮川瀨 今思我苦戀 其儚且幻甚飄邈 稍縱即逝不可依
1121 題知(だいし)らず
  真鶴(まなづる)の 葦毛(あしげ)の駒(こま)や 汝(な)が主(ぬし)の 我(わ)が前行(まへゆ)かば 步(あゆ)み止(とど)まれ