街道ウォーク★363
中世鎌倉街道を歩こう!(千駄ヶ谷~代官山~蛇崩~大岡山)
日時■2010年11月28日(日)11:00~17:00頃
集合■中央総武線・千駄ヶ谷駅+大江戸線・国立競技場前駅(千駄ヶ谷駅南口広場集合)
※中央線快速は止まりません。各駅停車で新宿・四谷から2駅4分、代々木から1駅2分です。
コース■千駄ヶ谷駅(鳩森八幡神社)~神宮前(勢揃坂)~表参道(同潤館)~北青山<昼食休憩>~並木橋(金王八幡神社)~代官山(猿楽塚)~上目黒(宿山橋)~蛇崩(小川坂)~五本木(蘆毛塚)
~鷹番(品川上水)~碑文谷(サレジオ教会)<中休み>~宮ヶ丘(碑文谷八幡神社)~
大岡山(清水窪弁財天)~大岡山駅(東京工大) <約10km>その他■雨天の場合は12月12日(日)に延期します。判断がつかない場合は、主催者までご連絡下さい。
連絡先■大竹亮(旧街道ウォーク代表、NPO全国街道交流会議理事)
■今回の活動について
前回(10/11)に引き続き、「いざ鎌倉!」の道である中世鎌倉街道を採り上げます。
古代官道は律令国家の行政の道であり、江戸時代の近世街道は幕藩体制の交易の道であるとすれば、中世鎌倉街道は武家社会の軍事の道でありました。また、近世街道が江戸城や日本橋から放射状に伸びているのに対し、古代東海道は武蔵国府(府中)と下総国府(市川)を結んで都内を東西に横断し、中世鎌倉街道のは関東各地から一路鎌倉を目指し、都内を南北に縦断しています。そして、近世街道が、現在もほぼ幹線道路となって引き継がれているのに対し、中世鎌倉街道は、東京の片隅にとぎれとぎれながら、裏道としてひっそり残っています。しかし、地形に即した最短ルート、古代中世からの史跡の存在、沿道に残された歴史伝承などから、それが鎌倉街道であることが推定できます。
都内に残る多数の中世鎌倉街道の一つ、二子から千駄ヶ谷経由で岩淵へ至る中ノ道(東回り)のうち、前回は北半分の千駄ヶ谷から赤羽までを歩きましたが、今回は南半分のうち、千駄ヶ谷から上大岡までを歩きます。途中には、鳩森八幡、金王八幡、碑文谷八幡などの古社や、勢揃坂、猿楽塚、蘆毛塚などの史跡が連なり、渋谷川、目黒川、蛇崩川の刻む深い谷が、丘と坂の地形を創っています。そして、塔の家、ワタリウム、同潤館、ヒルサイドテラス、サレジオ教会などの優れた近代建築も点在し、さらには、表参道、代官山、学芸大学、大岡山などの個性的な商店街の賑わいも魅力です。
皆さん、現代都市・東京に中世古道を探し、一緒に歩きましょう!
■中世鎌倉街道について
幕府のある鎌倉に各地の御家人たちが「いざ鎌倉!」と集結するための道として、鎌倉から関東一円に放射状に伸び、分岐交錯して無数のネットワークを形成していました。上ノ道、中ノ道、下ノ道、山ノ道の4本が幹線とされており、古代官道のように一直線ではないものの、軍道らしく尾根筋をつないで最短距離をとるのが特です。また、沿道には古社寺、道標、伝承地などが点在し、古道らしさを伝えています。従来は記録文書や地元の伝承から推定するしかありませんでしたが、前回の十条台地区では推定路線上に遺構が発掘されるなど、その道筋が実証されつつあります。
■沿道の見どころ
鳩森八幡神社●神様が宿る小祠の森に、慈覚大師(円仁)が奉祀した古社(創建860年)。祭神は神功皇后・応神天皇。勢揃坂●後三年の役の時(1083年)、源義家がここで軍勢を揃えて奥州へ出陣したと言われる。西側には、龍厳禅寺。
同潤館●同潤会アパートの建替(表参道ヒルズ)に際し、再生保存された。美しい欅並木の表参道に面し、往時を伝える。金王八幡神社●後三年の役で活躍した渋谷氏に、源義家が勧進した古社(創建1092年)。一帯は渋谷氏の城館と砦。
ヒルサイドテラス●代官山のイメージを創り上げた低層集合住宅。一角には猿楽塚や地蔵堂(道標)も残されている。目切坂と小川坂●目黒川の刻む深い谷の両側に、台地に上る急坂が対峙する。非対称谷で、代官山側の方が険しい。
蛇崩川●目黒川の支流の一つ。穏やかな台地の川ながら、目黒川合流手前で突然に高低差を生じ、急峻な崖を創る。
サレジオ教会●壮麗なクラシック様式の聖堂。切支丹屋敷で殉死したイタリア人宣教師を偲ぶ「江戸のサンタマリア」も。
碑文谷八幡神社●源頼朝に仕えた畠山重忠の討死後、守護神を奉祀。境内には碑文谷の地名の起源となる碑文石も。
柏木由纪下海参考文献:芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅・中道編」(1981年さきたま出版会)
阿部正道著「鎌倉街道・東京編」(1983年そしえて)
荻窪圭著「東京古道散歩」(2010年中経文庫)